重巡洋艦 利根
4月13日土曜日
最近仕事が忙しかったので一日中寝て過ごすだろうと思っていたこの日、何故か早朝から目が覚めた
気温はちょっと低いものの、天気は快晴
湧き上がる衝動に身を任せ、身支度を整えてバイクに跨る
高速にのって東を目指し、走ること数時間
数日前に突然思い出した一言に引き寄せられるように辿り着いた場所
広島県江田島市にある『軍艦利根資料館』
確か小学四年生の頃
今は亡き父が自分にこう語った
『お前の爺さんは戦時中、利根に乗艦していた』
当時大艦巨砲主義男子だった自分は
『戦艦勤務じゃなかったのかー』
とか思って父の言葉を軽く流してしまった
あの時もっと詳しく話を聞いていれば...
自分が生まれた時には祖父は亡くなっていたので、写真と父の話でしか知らない祖父の事を知りたくてここまで来てみた
...とまぁ、今回の突発的ツーリングはこんな感じでスタートしました
なぜ突然父の言葉を思い出したのか、本当に不思議です
今まで何カ所かこういった資料館を訪ねていますが、一番こじんまりとした施設でしたね
施設内には係の方は誰もおらず、他の見学者が誰もいないと完全に無人です
そんなに早い時間ではなかったのですが、自分一人だったのでゆっくり見学することが出来ました
館内中央には1/100スケールの利根の模型が鎮座しています
これを中心に、壁に沿ってぐるりと展示品が並んでいます
バスタブとラッタル
祖父が実際に触れた可能性もゼロではありません
乗組員の写真や当時の衣料など
時計などの装備品
昭和16年12月7日に送られた各艦を鼓舞する電文と12月8日に送られた赤城発の戦果報告電文の写し
食器やバッカン、ラムネの瓶
利根は艦内で納豆の製造に初めて成功した艦らしく、山本五十六長官に褒められたそうです
閲覧用の資料も豊富にあったので1時間くらいゆっくり閲覧させてもらいました
この資料の置かれた机、利根で使われていた士官用の机だそうで
感慨深いものがありました
資料館のすぐ横には利根の戦没者慰霊碑があります
碑の周りを取り囲む柵の支柱が20.3cm砲弾のレプリカになっています
横に戦没者名を刻んだ石碑がありましたが、祖父の名前はありませんでした
祖父がいつ亡くなったのか知らないのですが、少なくともこの地で利根に乗艦していた間に亡くなったのではない事だけは確認出来ました
祖父の足跡を追いかけて来たつもりでしたが、結局分かったことは僅かでした
でもここに来れた事は自分にとってとても有意義な事に思えます
戦争の記憶が薄れていく今、こういった事は後の世に伝えていかなければならないですね
さて、目的が果たせたのでのんびり戻ります
この辺りには戦争末期に利根と同じ様に燃料不足などの理由で浮き砲台として繋留されていた艦が他にもあり、同じ様に空襲を受けて大破着底しています
その痕跡をちょっとだけ辿りつつ帰ります
これは軽巡洋艦大淀の碑
入口がちょっと分かりにくかったです
こちらは重巡洋艦青葉の碑
一方通行の道沿いにあるのでちょっと行きにくい場所にありました
呉の旧海軍墓地に行けば他の軍艦の碑もたくさんありますが、弱いながらも霊感とやらを装備している自分は墓地と名のつく場所に行くのはちょっと苦手なもので...
何かに突き動かされる様に急に思い立った今回の突発的な旅でしたが、今までに感じたことの無い程の凄まじい充実感を感じました
祖父は今回の自分の行動を喜んでくれたのでしょうか
答えは分かりませんが、今はそう思いたい気分です
最近仕事が忙しかったので一日中寝て過ごすだろうと思っていたこの日、何故か早朝から目が覚めた
気温はちょっと低いものの、天気は快晴
湧き上がる衝動に身を任せ、身支度を整えてバイクに跨る
高速にのって東を目指し、走ること数時間
数日前に突然思い出した一言に引き寄せられるように辿り着いた場所
広島県江田島市にある『軍艦利根資料館』
確か小学四年生の頃
今は亡き父が自分にこう語った
『お前の爺さんは戦時中、利根に乗艦していた』
当時大艦巨砲主義男子だった自分は
『戦艦勤務じゃなかったのかー』
とか思って父の言葉を軽く流してしまった
あの時もっと詳しく話を聞いていれば...
自分が生まれた時には祖父は亡くなっていたので、写真と父の話でしか知らない祖父の事を知りたくてここまで来てみた
...とまぁ、今回の突発的ツーリングはこんな感じでスタートしました
なぜ突然父の言葉を思い出したのか、本当に不思議です
今まで何カ所かこういった資料館を訪ねていますが、一番こじんまりとした施設でしたね
施設内には係の方は誰もおらず、他の見学者が誰もいないと完全に無人です
そんなに早い時間ではなかったのですが、自分一人だったのでゆっくり見学することが出来ました
館内中央には1/100スケールの利根の模型が鎮座しています
これを中心に、壁に沿ってぐるりと展示品が並んでいます
バスタブとラッタル
祖父が実際に触れた可能性もゼロではありません
乗組員の写真や当時の衣料など
時計などの装備品
昭和16年12月7日に送られた各艦を鼓舞する電文と12月8日に送られた赤城発の戦果報告電文の写し
食器やバッカン、ラムネの瓶
利根は艦内で納豆の製造に初めて成功した艦らしく、山本五十六長官に褒められたそうです
閲覧用の資料も豊富にあったので1時間くらいゆっくり閲覧させてもらいました
この資料の置かれた机、利根で使われていた士官用の机だそうで
感慨深いものがありました
資料館のすぐ横には利根の戦没者慰霊碑があります
碑の周りを取り囲む柵の支柱が20.3cm砲弾のレプリカになっています
横に戦没者名を刻んだ石碑がありましたが、祖父の名前はありませんでした
祖父がいつ亡くなったのか知らないのですが、少なくともこの地で利根に乗艦していた間に亡くなったのではない事だけは確認出来ました
祖父の足跡を追いかけて来たつもりでしたが、結局分かったことは僅かでした
でもここに来れた事は自分にとってとても有意義な事に思えます
戦争の記憶が薄れていく今、こういった事は後の世に伝えていかなければならないですね
さて、目的が果たせたのでのんびり戻ります
この辺りには戦争末期に利根と同じ様に燃料不足などの理由で浮き砲台として繋留されていた艦が他にもあり、同じ様に空襲を受けて大破着底しています
その痕跡をちょっとだけ辿りつつ帰ります
これは軽巡洋艦大淀の碑
入口がちょっと分かりにくかったです
こちらは重巡洋艦青葉の碑
一方通行の道沿いにあるのでちょっと行きにくい場所にありました
呉の旧海軍墓地に行けば他の軍艦の碑もたくさんありますが、弱いながらも霊感とやらを装備している自分は墓地と名のつく場所に行くのはちょっと苦手なもので...
何かに突き動かされる様に急に思い立った今回の突発的な旅でしたが、今までに感じたことの無い程の凄まじい充実感を感じました
祖父は今回の自分の行動を喜んでくれたのでしょうか
答えは分かりませんが、今はそう思いたい気分です